沖浦和光『宣教師ザビエルと被差別民』

沖浦和光の絶筆。西ヨーロッパの辺境バスク出身のフランシスコ ザビエルが、宗教改革大航海時代の奔流の中で、西インド、マルク諸島を経て日本への布教の旅を敢行する。ザビエルの眼差しの先にあったのは、各地の虐げられた民の姿であり、特に日本においてはハンセン氏病者の救済事業に力を尽くしたことが特筆される。忍性や叡尊らの西大寺律宗による「救ライ」事業が途絶え、仏教による救済の網の目からこぼれ落ちた存在であったハンセン氏病者の間にキリスト教が受容されていくについては、当時の日本社会の現状がザビエルの思想と信仰を求めていたという「歴史的必然」を指摘できるのではないか。

 
以上、本書の内容を私なりにまとめてみたのだが、改めて思うのは本書の描き出すザビエルの思想には、著者沖浦和光その人のそれが色濃くにじみ出ているということである。このザビエル像は、被差別者の存在から日本の歴史を照射しその本質をとらえようとしてきた沖浦和光でなければ、描き出せなかったものであろう。本書の起点を、ザビエルのバスク人としての実存に置いているところにも、沖浦和光らしさを強く感じて止まない。
 
沖浦和光著作に初めて触れたのは、現代の理論社から出ていた『マルクス コメンタール』に納められていた論考だったと思う。まだ二十歳前で、正統派マルキストの先輩と論争するために、ユーロコミュニズムや初期マルクスの思想に言及した論文を手当たり次第に読んでいた時期だった。確か「ヘーゲル法哲学批判」か「経哲草稿」における疎外論について論じたものだったはずだ。
 
その後大学で中世の口承文芸を学ぶようになり、漂泊民や被差別民の文化や芸能に関心を持って網野善彦らの著作をよく読んでいた頃に手にしたのが、沖浦和光野間宏との対談集『日本の聖と賤』『アジアの聖と賤』だった。以降、『竹の民俗誌』や『旅芸人のいた風景』など、熱心な読者だったとまではとうてい言えないが、継続的に沖浦和光著作には目を向けてきた。沖浦の視線がヨーロッパの思想から日本~アジアの被差別民の歴史に向かったことについてはあまり違和感は感じなかった。むしろマージナルなものの存在に強く興味をひかれてしまう自分自身の志向性に拠り所を与えてくれる業績として意識してきた。
 
中世末期の日本で短期間のうちにキリスト教徒が爆発的に増え、権力による厳しい弾圧に対しても根強い抵抗を継続したのはなぜかという歴史的問いかけにこの著作は初めて納得できる答えを与えてくれる。そして近世身分社会の確立に努める権力者にとって、神の前の平等を信じるキリシタンの思想と存在がいかに大きな脅威であったかを実感させてくれる。絶筆の先に、沖浦和光が見ようとしていた主題を自分なりに考えてみたい。