丸山真男を読む

丸山真男超国家主義の論理と心理 他八編』(岩波文庫)を読みました。収録されている論文の多くは丸山の名著『現代政治の思想と行動』(1956 未来社)所収のものです。同書は、丸山真男の代表的な著作であり、私も学生時代に読んだ記憶があります。今回文庫本が出たのを機に、戦後民主主義オピニオンリーダーであった丸山真男なら今日の政治状況をどうとらえるか、ということを考えてみようと思い、この本を手に取りました。 一読してみて、かつては精緻な論理を駆使して構築されていると感じた論考の端々から戦後民主主義を擁護しようとする丸山の強い思いがにじみ出ている、という印象を持ちました。それは、あるいは、立憲主義を否定し、国会を軽視する現政権への私の個人的な危機感が招き寄せたきわめて主観的な感覚に過ぎないのかもしれません。だとしても、丸山が、「逆コース」の流れを批判しながら戦後民主主義を守り通そうとして記したこれらの論考を、現状への批判的な視点から読み直そうとする姿勢そのものが的外れであるとは思えません。以下、同書からの引用を試みながら、感想を記してみます。

もはや戦後のファシズムファシズムの看板では出現できず、却って民主主義とか自由とかの標語を掲げざるをえないことになりました。そこできわめて事態は複雑になって来て、民主的自由や基本的人権の制限や蹂躙がまさに自由とデモクラシーを守るという名の下に大っぴらに行われようとしているのが現在の事態です。(「ファシズムの現代的状況」p226)

丸山のファシズム論には、今日の研究水準からはいくつかの疑義が呈せられているようですが、それを検討する力量は私にありません。この一節から感じたことだけを書いてみます。

私にはこの一節がまさに安倍政権の有り様を語っているように思えてなりません。平和の名の下に戦争法案を閣議決定し、国会審議をアリバイ作りとしか見なさず、性急にことを運ぼうとする姿勢から、いずれ例外という既成事実を積み重ね、取り返しのつかない所まで私たちの社会を駆り立てて行こうとする意図が見てとれることを、丸山の言葉が教えてくれています。 ヘイトスピーチへの規制を、言論の自由を理由に放置し、その一方でNHKや民放各社への圧力と朝日バシッングを煽り立てた現政権の欺瞞と詭弁を見れば、これをファッショ政権と呼ぶのになんの差し支えもないと丸山なら言うでしょう。 残念ながら、1950年代の丸山の危機感を我々も共有しなければならない状況が眼前に広がっているように思えてなりません。