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沖縄を憶う4

先に「罪障感」と書きましたが、それは「沖縄を捨石にして生き延びた後ろめたさ」ということです。もちろん、戦後10年目の生まれである私にこのような感情を抱かせる直接的で具体的な体験があったはずはありません。それは私の母親の言動から自然に影響を受けて私の心の底に知らず知らずのうちに形成された意識の構えのようなものです。

母親は、鹿児島の薩摩半島の南部の地域の生まれです。吹上浜という遠浅の海浜を控えた所です。そこには日本陸軍の特攻隊の基地がありました。私が幼いころ、母の実家の大人たちが「ヒコージョー」という言葉で名指しする地区があり、そこはスイカ畑だったのですが、実は特攻基地の跡だったのです。中国か朝鮮から強制的に徴用されてきた人々によって作られた基地だったようです。工事の過程で亡くなった人もいたはずです。

不確かな記憶ではありますが、吹上浜には、太平洋戦争末期米軍の上陸を想定した塹壕のようなものが掘られていたという話を聞かされたことがあるように思います。母親は常々、沖縄戦がなければ、吹上浜にも米軍の上陸があり、戦闘に巻き込まれて自分も死んでいたはずだ、ということを話していました。

私が母親のもとを離れてからかなり後のことになりますが、鹿児島市内でバーを経営していた母親のところにたまたま沖縄の人が客として訪れ、ともに酒を酌み交わしながら酔った母親は相手の方が辟易するまで「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝罪の言葉をやめなかったと、その場に居合わせた人から聞かされたことがあります。私の沖縄への「罪障感」は、母親の影響抜きにはなかったものでしょう。

私の祖父母は奄美の出身で、祖父は戦前、台湾の総督府に努めていました。戦後、米軍の統治下に入った奄美に戻らず、鹿児島まで引き上げ、そこで事業を始めたようです。その家に母親は嫁いできたことになりますが、父方の親戚からは、「ヤマトの嫁」という呼ばれ方をされたそうです。

そんな母親がふとした拍子に「島の人たちは云々」と、島の人間の立ち居振る舞いに非難めいたニュアンスを含む言葉を口にしていたことを覚えています。母親が奄美の人たちにあからさまな差別意識を持っていたとも思えず、頻繁に聞かされた言葉でもありませんが、幼い私のなかにも奄美の生活習慣をどこかしら「開けていないもの」と見なすまなざしが知らず知らずのうちに植えつけられていたように思います。

その一方で、こんなこともありました。これは、母親とは直接かかわりのないことでしたが、小学校の低学年のころだったと思います。春休みだったでしょうか、奄美の祖父母のもとから妹をつれて鹿児島まで船で帰って来たときのことです。船を下りてタクシーに乗ろうとしたのですが、子どもだけでタクシーに乗ろうとするのが珍しかったのか、運転手さんが「どこから来たか」と声をかけました。「大島(鹿児島で大島と言えば、奄美大島のことです)から」と答えると「何だ、シマジンか」と言われました。子供心に胸に突き刺さるような、冷たい響きでした。鹿児島では、奄美の人を「シマンシ」(島の衆)とか「シマジン」(島人)と呼ぶことが多いのですが、「シマジン」には明らかに差別的な意味がこめられています。

沖縄へ対する「罪障感」について書くつもりが、話があらぬ方向にそれてしまったかもしれません。沖縄の話が奄美のそれに横滑りしてしまいましたし、また、思い出話というのは、どこかしら現在の自分を起点に逆算されて構成されかねない危険も秘めています。しかし、自分が差別する側にいるのか、差別される側にいるのか、いまだによくわからないままに沖縄を意識せざるを得ないという立ち位置が私にはずっとついて回っていることだけは確かなようです。図式的な言い方をすると、日本(ヤマト)によって周縁化された沖縄/琉球のさらにその周縁の奄美に由来する血脈につながりながら、そこからもどこか外れてしまったあいまいなポジショナリティーを自覚しながら、沖縄を見つめ、沖縄を考えていかなければならない、と臍を固めるしかないわけです。

さて、長々と沖縄について書いてきたのは、もちろん今辺野古で起こっていることと無関係ではありません。沖縄によって私たちは、私たちの選んだ、あるいは選ばされた政権の粗暴な正体をまざまざと見せつけられています。愛国心を称揚する一方で、郷土の自然とその中で培われてきた生活と文化を守ろうとする人々を足蹴にして恥じない為政者を日本人(ヤマトンチュ)はいつまで野放しにするのか、と問われているのだと私は感じます。その沖縄の声を聞き取る力が自分にあるのかどうか、それを考えてみるためにも、私と沖縄との関わりを思い出してみたかったのです。

ここまで、冗長でまとまりのつかない文章を読んでいただいた方、ありがとうございました。以降も、微力ながら沖縄のことを考えていこうと思います。