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沖縄を憶う3

慌ただしく終わった沖縄旅行でしたが、二十歳前後に訪れた沖縄の印象は色褪せず、沖縄に関する本を手に取ることが多くなりました。柳田国男の『海南小記』や谷川健一の『孤島文化論』は沖縄の旅を追体験させてくれました。伊波普猶や金城朝永ら沖縄出身の研究者の著作にふれ、沖縄の歴史と文化を学ぼうと自分なりに努力しました。大学の卒論に「柳田国男の南島研究」というテーマを選び、柳田民俗学の形成過程で沖縄の持った意味と柳田が沖縄を体験することで「差異を内包した包括的なビジョンとしての日本人」という概念を提示し得たといったことを書いてみました。「柳田国男にとって、日本人とは何かという問いは、日本人はどうあらねばならないかという問いと不可分に成立していた。」なんて文を書いていたように思います。
卒論の準備を進めるなかでも、多くの書籍や資料に触れましたが、いちばん強い印象を与えてくれたのは、比嘉春潮の『沖縄の歳月』でした。もう絶版になったと思いますが、中公新書のなかの一冊です。沖縄の近代史と重なる人生を送った著者の回想記ながら、一個人の記憶にとどまらず、近代沖縄の精神史としても読まれるべき著作です。沖縄を強権的に明治国家のシステムに取り込んだ「琉球処分」後の沖縄の運命を内面化しながら、キリスト教トルストイズム、社会主義に影響を受けつつ思想形成を遂げ、一方で柳田国男に師事して沖縄の文化を研究し、戦後は復帰運動の担い手としても活躍した比嘉春潮は、もっと注目されて良い人物だと思います。『沖縄の歳月』の復刊も望まれます。
私はこのように沖縄を強く意識しながら二十代を送りました。そのきっかけを与えてくれたのが、沖縄を実際に訪れた経験であったことは間違いありません。しかしながら、今思い返すと、自分には沖縄へ行くことへのためらいや恐れのような感情があったように思います。その気持ちをうまく表現することは難しいのですが、ある種の罪障感とでもいうしかないような思いがこの感情の底に澱のように沈んでいるような気がします。このことを、次に書いてみることにします。(この稿続く)