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沖縄を憶う2

那覇港を夕刻に出航した船は翌朝石垣港に着きます。甲板で一晩を明かし、目覚めると、石垣島のオモト嶽の山容が目に飛び込んできました。潮風に顔を打たせながら望み見る島の姿が次第に大きくなるにつれ、胸の高鳴りを覚えるのは海の旅の醍醐味の一つです。
船中で知り合った沖縄国際大学の女子大生二人と同じ民宿に投宿しました。(沖縄国際大学は2004年米軍ヘリの墜落事故の現場になった大学です。)頬骨の高い黒目勝ちの美少女たちでした。彼女たちが、民宿の主人に「沖縄から来ました」と言っているのを聞いて、沖縄という地名が本島を意味していることを知りました。民宿のテレビに映るのはNHK総合テレビだけ。それも一週間遅れの番組なのです。一晩の船旅を必要とする距離が本島とかつて先島と呼ばれた地域との様々な落差を体感させてくれました。
この旅のいちばんの思い出は、石垣港からポンポン船で渡った竹富島です。竹富島の桟橋からは水牛の引く乗り合い馬車(?)で島の反対側の浜まで連れていってもらいました。珊瑚の石垣に囲まれた伝統的な家屋の間を縫って進む道の美しさはたとえようもありませんでした。集落の中ほどに平地を深く掘り下げて作った採水場がありました。石を荒削りしたステップを何段も下って水を汲み、今度は水の入った桶を担って上る。そんな苦労を繰り返してやっと生活に必要な水を確保してきた島人の暮らしの証です。カーと呼ぶのだそうです。日本語(ヤマトグチ)のカワと同根の語なのでしょう。竹富島では伊波普猶の描き出した『古琉球』の姿が今でも感じられることに驚きました。
もう一つの忘れられない体験は、石垣島の川平でオーンと呼ばれる村落の聖域に偶然立ち入ったことです。クバの木の繁る中に畳三畳ほどの地面があって、自然石が無造作に置かれているだけの場所でしたが、ここに神霊が宿り、悠久の昔からムラの祭祀が執り行われて来たのでしょう。現代とはまったく異質の時間がそこには流れていました。何とも言い様のない緊張感に囚われて、耐えきれず外に出ました。
柳田国男折口信夫は沖縄に現存する信仰の姿に触発されて、日本人の固有信仰のイメージを構想したと言われますが、柳田や折口が沖縄を旅した大正期と変わらぬ信仰の場を、幸運にも垣間見ることが出来ました。
私たちの八重山旅行は、突然発生した台風のために終止符を打たれました。欠航直前の船便に滑り込み、大揺れに揺れる船のなかで胃の腑がひっくり返るような苦しい思いをしながら、那覇港までひっ返しました。それから空港でまる1日キャンセル待ちをし、運よく最終便に乗れて、慌ただしく鹿児島の実家まで帰ってきました。(この稿続く)