尹東柱の詩
10日の朝日新聞夕刊に、尹東柱の記事がありました。27歳の死から70年目の今年、彼の詩が多くの人の心をひきつけているそうです。私も、昨年、金時鐘さん訳による『空と風と星と詩』(岩波文庫)を購い、その表現に心を震わせた一人です。
별을 노래하는 마음으로 星を歌う心で
모든 죽어가는 것을 사랑해야지 すべての絶え入るものをいとおしまねば
詩集冒頭の序詩のなかの美しい一節。
植民地時代を生きた表現者の心に「모든 죽어가는 것」という言葉がどれほどの意味を帯びて湧き上がってきたのか、またそれを「すべての絶え入るもの」と日本語に訳した金時鐘さんの思いが奈辺にあったのか、私には歴史の深遠の周りを手探りしてみることしかできません。そして、勝手な思い込みに陥ることを恐れずに言えば、この言葉を「平和への祈り」として聞き取りたいとの思いに強くとらわれます。それは「모든 죽어가는 것」という、直訳すれば「すべての死に行くもの」という言葉が私には、「すべての命あるべきもの」という、かけがえのない存在を語る言葉として響くからでもあります。
かけがえのない存在、それは何よりも、祖国の解放を目前にして福岡の刑務所で短い生涯を終えた詩人その人の存在にほかなりません。彼が残してくれた言葉の数々をいとおしむこと。母国語を自由に使うことすらままならなかった日々のなかで、彼がつむぎだした言葉。それを私が日本語で読み、その感動を日本語でこうして記していること。それが「いとおしむ」ことの困難さを物語る事実であると同時に、「いとおしむこと」の大切さと可能性を指し示す里程標であることを、今は信じたい気持ちでいっぱいです。
그리고 나한테 주어진 길을` そして私に与えられた道を
걸어가야겠다 歩いて行かねば。
最後になりましたが、「사랑하다」に「いとおしむ」という訳語を与えた金時鐘さんもすばらしいと思いました。