『火山島』雑感 金石範の畢生の大作に「雑感」なる語は礼を失する思いがせぬでもないが、この作品を真正面から論ずるだけの資格も能力も持ち合わせぬ身としては、ことが断片的な感想にとどまる以上、これを雑感とせざるを得ないのである。あるいは「断感」と…

中村一成『思想としての朝鮮籍』

1947年5月2日大日本帝国憲法下の最後の勅令「外国人登録令」により旧植民地出身の在留朝鮮人は外国人と見なされ、強制的に「朝鮮籍」とされた。植民地支配下に帝国臣民とされ日本国籍を有する彼らを、翌日施行される日本国憲法の享有者である日本国民から…

沖浦和光『宣教師ザビエルと被差別民』

沖浦和光の絶筆。西ヨーロッパの辺境バスク出身のフランシスコ ザビエルが、宗教改革と大航海時代の奔流の中で、西インド、マルク諸島を経て日本への布教の旅を敢行する。ザビエルの眼差しの先にあったのは、各地の虐げられた民の姿であり、特に日本において…

丸山真男を読む

丸山真男『超国家主義の論理と心理 他八編』(岩波文庫)を読みました。収録されている論文の多くは丸山の名著『現代政治の思想と行動』(1956 未来社)所収のものです。同書は、丸山真男の代表的な著作であり、私も学生時代に読んだ記憶があります。今回文庫…

愛国心について

国旗や国歌を尊重する態度を否定する気は毛頭ありませんが、それが権力を背景にして強制されるとしたら、国旗や国歌はもはや真の愛国心とは縁もゆかりもない単なる記号に過ぎなくなるでしょう。形式的な国旗掲揚と国歌斉唱が強制され、これまた形式的な評価…

沖縄を憶う4

先に「罪障感」と書きましたが、それは「沖縄を捨石にして生き延びた後ろめたさ」ということです。もちろん、戦後10年目の生まれである私にこのような感情を抱かせる直接的で具体的な体験があったはずはありません。それは私の母親の言動から自然に影響を受…

沖縄を憶う3

慌ただしく終わった沖縄旅行でしたが、二十歳前後に訪れた沖縄の印象は色褪せず、沖縄に関する本を手に取ることが多くなりました。柳田国男の『海南小記』や谷川健一の『孤島文化論』は沖縄の旅を追体験させてくれました。伊波普猶や金城朝永ら沖縄出身の研…

沖縄を憶う2

那覇港を夕刻に出航した船は翌朝石垣港に着きます。甲板で一晩を明かし、目覚めると、石垣島のオモト嶽の山容が目に飛び込んできました。潮風に顔を打たせながら望み見る島の姿が次第に大きくなるにつれ、胸の高鳴りを覚えるのは海の旅の醍醐味の一つです。 …

沖縄を憶う

1972年の3月のことです。高校2年生だった私は悪友たちと、鹿児島県の一番南の島、与論島に貧乏旅行を敢行しました。鹿児島港からたっぷり一昼夜かけて与論の港へ降り立ったとき、もう午後8時は過ぎていたと記憶します。桟橋におりても体がふらふらと…

反知性主義について2

『現代思想』2月号所載の上野俊哉「反知性主義に抗うためのいくつかのアイディア」はステキな論考です。「反知性主義にサヨナラするオイシイ生活のすすめ」が語られているからです。 私流の要約だと飛躍が過ぎるようなので、筆者の言葉に耳を傾けてみるとし…

反知性主義について

『現代思想』2月号の特集「反知性主義と向き合う」を読みました。 「反知性主義」という言葉が名指しする対象が何であるかを直ちに明言するのは難しいことですが──それゆえ十に余る論考からなるこの特集もその論点を多方面に拡散させてしまっている感を否め…

尹東柱の詩2

今朝(3月2日)の朝日新聞の社説が「日韓国交正常化50年 悲劇の詩人の思いを胸に」と題して、尹東柱に言及していました。記事のなかに「序詩」の日本語訳が引かれていたのですが、それは私の読んだ金時鐘訳ではなく、伊吹郷訳になるものでした。 そこでは…

ヘイトスピーチ考

神奈川新聞の特集記事「時代の正体」2月15日と16日の石橋学報道部デスクによる「ヘイトスピーチ考」上下を読んで、今在日の人々が感じている恐怖心に自分が気づけていなかったという「事実」を思い知らされた。「死ね」「殺す」という言葉を浴びせかけ…

尹東柱の詩

10日の朝日新聞夕刊に、尹東柱の記事がありました。27歳の死から70年目の今年、彼の詩が多くの人の心をひきつけているそうです。私も、昨年、金時鐘さん訳による『空と風と星と詩』(岩波文庫)を購い、その表現に心を震わせた一人です。 별을 노래하…